さきぼうの「おはなし部屋」

ラジオで話した内容をブログにしています🖊

グッドボタンに翻弄される私の意見

🎧ラジオ番組を文字起こしした内容を抜粋して掲載しています。

本編も、ぜひクリックして聴いてみてくださいね♪

▼2023年8月3日(木)放送

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■本日のテーマ

みなさんこんにちは。

さきぼうの「おはなし部屋」へようこそ。

今日のテーマは「グッドボタンに翻弄される私の意見」です。

 

■内容

私の癖

私、ネットでyahooニュースをよく見るんですけども、

皆さんもご覧になったことありますかね。

ニュースをクリックして、その画面を下にスクロールをしていくと、

そのニュースを見た方のコメントが自由に書かれる欄が設けられてることがあります。

そのコメントに対して、グッドボタン👍とバットボタン👎が押せるような仕組みになっています。

私自身がyahooニュースにコメントをしたことはないです。

でもそのニュースを見てると、ニュースのタイトルを見てすぐに、

内容もそんなにちゃんと読まずに、 すぐにコメントに飛んでしまうっていう癖があるんです、私。
しかも、そのコメントに対するグッドボタンとバットボタンの数をすごく見ちゃうんです。

それを見て、

「ああ、このニュースに対して皆さんはこう思うんだ」とか、

「この意見に対して、こんなに多くの人がいいねって思ってるんだ」とか、

いいね👍が多くついてあるコメントに対して、

「確かに私もそう思う・・・」という感想を持って、

そのニュースの内容をちゃんと読まずにニュースを閉じる、という行動をしてることが多いなっていうことに、最近気がついたんです。

 

大多数の意見に属していることを確認していることに気付く

ニュースを読むために、そのニュースタイトルをクリックしたはずなのに、

なんとなく「自分の考えはちゃんと大多数意見に属しているな」っていう安心感のために、

安心のための確認作業をしているみたいな感じになっちゃってる気がしています。

ちゃんとニュース内容をちゃんと読んで、

「私はこう思うな」と自分の意見を持ったとしても、

似たようなコメントがないか、結構すぐ探しに行ってしまいます。

私と似た意見が少数意見だと、「え。私の意見違うのかな…」って、めちゃくちゃ不安になるんですよ。

それで、私の意見とは別の意見コメントに、多くのいいねが集まっていると

「ああ、まぁ…確かにそうかも。確かにそれが正しいか…」って、

なんだか自分を納得させちゃうんですよ。

私自身の意見が大多数の意見に属していることに安心するっていうのが、

なんかとてもモヤモヤしてるんですよね。

「大多数の意見 = きっと普通の意見」で、多くの人が思ってるんだから、

それはきっと正しい意見だっていう、 なんか私自身の判断がそこでなされてる気がしていて。

 

他人の意見と私の意見

「別に他の人と意見が違ってもいいじゃん!」って、自分自身で言ってやりたくて、頭ではよくわかってるんですけどね。

他の人と同じ意見の中で自分の価値観っていうのを作り上げてしまうと、

全く何の成長もなくなるんじゃないかなっていうのを今懸念しています。

お互いの意見の違いを見つけることで、

「あれ、これってなんで違うんだろう?」っていう小さな気付きみたいなのが生まれる。

「なんであなたはそう思うの?」とか、その違いについて話し合ったりすることができれば、

「そもそもこの意見は、 私とあなたで違って当たり前だね」という結論に達するかもしれないし。

私は別にyahooのコメント欄でそのやり取りをしたいっていうわけではないですけど

実際に対面する人と話す中では、そういうことができるんじゃないかなとは思っています。

周りの人の言動や行動が、自分の言動に大きな影響を及ぼしているんだなとは感じます。

大多数の意見に自分も属しているっていうのは、すごく安心感があるのは事実だと思うんです。

右を見ても左を見ても私と同じで、私は浮き出てない。

私は目立っていない。

きっと、だから、私は正しい。大多数だから。

じゃあ、本当の私自身の意見や気持ちはなかなか発揮しづらい。

自分の意見が分からなくなると、自分自身のことを信じられなくなる。

自分はどこにいるんだろう。自分は本当は何を考えているんだろう。

これからネットニュースを読むときは、まずコメント欄を読むっていうのを、まずはなしにしたいです。

ちゃんと ニュースを読んで、自分自身の意見がどこにあるのかということを意識したいです。

自分の意見に耳を傾けるっていう意識をしたいと思います。

■エンディング

この現象、youtubeとかにも同じように現れてるなと思っています。

「グッドボタンが多い動画 = きっといい動画なんだろう」って思っちゃう。

で、実際にすごく期待して見てみると、

「あれ?なんか、別にそんな私の心には響かないけど、私の意識が変なのかな…」

って、グッドボタンの数に自分の気持ちを合わせちゃうことが、

たまにある気がします。

芸術作品でも同じような気がします。

ピカソの絵でも、セザンヌの絵でも、ゴッホの絵であっても、

自分自身がいいなって思わなかったら、それは私自身には響かなかった絵なんですよね。

どんなに歴史的に、 素晴らしいと言われている作品であっても。

それが自分自身に価値があるかどうかっていうのは、自分自身にしか測れないもの。

本来は周りに判断されるものではないんですよね。

だから、自分の意見をきちんと大事にしてあげたいなと思います。

これは、自分を大事にする一つの方法だなと思いました。

本日もお話部屋に遊びに来ていただいてありがとうございました。

またいつでもお部屋に遊びに来てくださいね。ではまた!

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